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北海道出身であるが、日常会話は関西弁を使用。小学校卒業と同時に新冠町から室蘭市に転居し室蘭市立東明中学校に入学。中学校1年生修了時に小樽市に転居し小樽市立潮見台中学校卒業。 その後1年間の牧場勤務を経て競馬学校に入学(7期生)、1991年に中央競馬の騎手としてデビュー(栗東・境直行厩舎所属、同期には四位洋文、安田康彦、郷原洋司らがいる)。 初騎乗は1991年3月2日、中京競馬第1競走のハイビスカスマミー(13頭立ての7着)、同年3月9日、中京競馬第1競走マキバスクリーンで初勝利を挙げる。 1991年にノーザンコンダクトでラジオたんぱ杯3歳ステークスを制し重賞初勝利、以後2010年現在まで毎年重賞を勝利している。翌1992年にタケノベルベットでエリザベス女王杯を制しGIを初制覇。1996年にはフサイチコンコルドで東京優駿(日本ダービー)を制し、史上2番目の若さでダービージョッキーの仲間入りを果たした。2004年には安田富男、武豊に次ぐJRA史上3人目となる中央競馬全10場重賞制覇を達成している。 夏競馬開催は生まれ故郷である北海道(函館・札幌競馬場)を主戦場とし、多くの勝ち鞍を挙げている。2007年6月16日には函館開催の初日、1日9連対のJRAタイ記録を達成した(武豊、横山典弘に次ぐ3人目)。 豪快であると同時に他馬への進路妨害を行わないクリーンな騎乗を心がけており、制裁の対象となることは非常に少ない。そのため2009年初頭に競馬学校25期生の卒業直前となった授業の特別講師として招かれたこともあった。 2004年に年間の制裁点が0点でありかつ優秀騎手賞を受賞したことにより、JRA史上3人目(柴田政人、河内洋に次いで)となる特別模範騎手賞を史上最年少で受賞した。藤田は「ようやく自分にも1つ、豊さんに破られない記録を作ることができた」と感想を語った。さらに、2010年には史上初の2度目の特別模範騎手賞を受賞した。なおフェアプレー賞もJRA現役騎手最多・歴代最多受賞回数である(14回)。また1996年より2008年まで12年間、レースでの騎乗停止が無かった(「藤田伸二の男ラム」に掲載)。 2000年代後半以降は栗東・藤原英昭、昆貢両厩舎の主戦騎手を務め、特に藤原からは信頼が厚く「勝負レースは伸二に依頼している」と明言している。その一方で、栗東所属でありながら東京・中山での騎乗数も大幅に増加させている。 2010年12月現在でGI級17勝(JRAGI13勝、交流GI4勝)うち高松宮記念を3勝(1999年マサラッキ、2002年ショウナンカンプ、2009年ローレルゲレイロ)しており、GI昇格後の高松宮記念最多勝ジョッキーでもある。 PR |